株式会社上野商店

べっぴんさんの街、神戸生まれた「神戸べっぴんものがたり」をはじめ
株式会社上野商店は、ヘルシーで低カロリーなこんにゃくを使った新商品を提案します。

第72回放送の「ゆうかりに乾杯」に出演いたしました

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メンバー
パーソナリティ
さくら(安本久美子)・タロウ(佃由晃)・なか(中嶋邦弘)
コアラさんの地域瓦版
かりん(妹尾優香)・アコ(三木文子)
ミキサー
門ちゃん(門田成延)・いっちゃん(一ノ瀬悟)
相談役
わだかん(和田幹司)
会 計
小山俊則
1.オープニング
今日11月23日(アメリカ時間で11月22日)は、ケネディ大統領が50年前に暗殺された日です。最初の衛星中継の日に衝撃のニュースが飛び込んできました。当時5歳のキャロラインさんが火曜日に29代駐日大使として就任されました。
2.ゲストコーナー(1)上野商店社長 上野隆弘さん(75陽会)

上野商店は大正元年(1912年)創業の101年続くこんにゃく屋さんで、上野隆弘さんは4代目です。
創業の地は兵庫区荒田町で、荒田八幡神社の少し西側です。店は阪神大震災で駄目になったので、西区の西神中央の工業団地に全て移した(工場は1985年に移転済み)。
創業地は、今は自宅兼事務所になっている。

商売人の子として生まれたが、工場がありこんにゃくを作っていたので、幼稚園に行くまでは色んな機械が動いていたのでうるさいなと思っていた。父母が家で仕事をしていたので、勝手に出歩かないよう、こんにゃくを作っている母親に背負われていた。歩き始めると動き廻らないよう、こんにゃくを入れるコンテナの箱に入れられていた。
兄弟は上に姉が3人で末っ子長男であった。小学校時代は長期休みが憂鬱な小学生だった。低学年の時は、出来あがったこんにゃくを決まった数、箱詰めにするなど単純作業の手伝いを座って1~2 時間していた。高学年になると単純作業の他、年末のかきいれ時は、自宅兼工場の軒先にテーブルを出してこんにゃくを売っていた。現金商売を小学校時代にすでに覚えた。
その場所は知っている人がよく通る所で、前掛けをし、長靴を履き、いらっしゃいませと言ってお客さんを呼びこんでいた。たくさん買ってくれた人には、その場のノリでおまけをしていた。商売上手な小学生であった。このようなやりとりは、東山商店街の魚屋さんの、威勢の良い売り言葉を聞いて育ったためである。小学生の時は、こんにゃくの上を歩くと滑るので、友達が家の前で滑らないように気を遣っていた。遊びの誘いに来ても、走らんといてと声をかけていた。友達とは家の倉庫で遊んでいた。

当時の唯一の楽しみはプラモデル作りだった。父親がものつくりが好きで、当時はプラスチックがなく、代わりにブリキ、銅線、鉄などの金属の端材を使い、切って半田で接着し組み立て、当時の神戸市電を作っていたのを見て好きになった。初めに作ったのは小さなロボットで、今井科学のはめ込み型の「ロボダッチ」であった。シリーズで30、40が売り出され、集めるのが好きであった。洗濯ロボ、ゴミ箱ロボなど、その形に手足が生えていた。プラモデルは子供の教育に良いと思う。選んでもらったものを作るのは納得できないので、買う時は自分で決める必要があり、買った箱を開けるとパーツと完成写真があり、自分の技量で作れるか考えるところが良い。

中学はバレー部であったが、兵庫高校はバレー部のレベルが高かったので、柔道部に入部した。高校は柔道、ラグビーが体育の必須で、柔道部員は、授業では先生に投げられる役目で、憂鬱な日々であった。入部した時新入生は初心者7人で白帯であった。半年後試合に出た時、相手は強く、投げられた時、頑張ったために肩から落ちて鎖骨を骨折した。3カ月コルセットを巻いて柔道が出来なかった。その間同級生は昇段し、先生より名前入りの黒帯をもらっていた。上野さんは2年生になる前に黒帯になった。大学で2段になった。
高校の文化祭では実行委員会で活動し、空き缶で姫路城をモデルにした畳2畳分の城を作った。ガムテープで固定したが、外からは見えないように、内側から工夫して固定した。体育祭は全クラス対抗のため、2年生では優勝した。3年生の時は、横2m、縦4mほどの大きさの七福神の学級旗を作った。下絵は上野さんが描いた。絵を描くのは母親の影響で、写生会などによく連れて行ってもらった。

3.ミュージックコーナー
あまちゃんオープニングテーマ
4.ゲストコーナー(2)上野商店社長 上野隆弘さん(75陽会)
上野商店西神工場
上野商店西神工場

大学を卒業した後はカネテツデリカフーズに就職した。大学4回生の8月1日時点で、内定者は会社に行くことになっていたが、内定がなかったので家にいた。見かねて親が家の近くのカネテツデリカフーズ本社に電話をしてくれた。営業で内定者が一人来なかったので今から来られるかと言われたので15分後に行った所、ほんまに来たんかと言われ、作文2枚を書き、面接を受けて就職した。入社後は1ヶ月間現場を順番に廻った。営業の仕事としては、量販店をまわり商談に同行した。カネテツは22歳で入り2年間お世話になり、震災の前年(1994年)に上野商店に戻り、30歳で社長になった。

仕事中の上野さん
仕事中の上野さん
東山店(直営店)
東山店(直営店)
営業活動
営業活動
神戸べっぴんものがたり

震災時、工場は西神に移転していたので被災しなかった。元の工場は倉庫兼住宅で木造の家が潰れた。家には上野さん夫婦と3 カ月の赤ちゃんがいたが、後で増設し、寝ていた部屋だけが無事であった。襖をあけると隣の部屋はなくなっていた。同居していた母親は前日広島に行っていた。父親は前日有馬温泉に新年会で行っていた。震災直後に、たまたま広島に一度だけ電話が通じ、無事である事を連絡出来た。母親はその日の深夜に広島から帰ってきた。福山から岡山まで在来線、瀬戸大橋経由、四国高松に渡り、飛行機で伊丹に着き、白タクで山越えで家まで帰ってきた。飛行機はキャンセル待ちであったが順番を変わってくれた親切な人がいた。父親は震災当日の昼に、有馬街道が通行できたので帰ってきた。父親は大したことはなかったなと言ったが、それは昭和5年生まれの戦中、戦後派で、焼夷弾が降ってこないだけでましということであった。避難所には行かずに裏の倉庫を改造し、プロパンガスを取り寄せ、仮設のトイレも設置し生活した。工場が助かった事が幸いであった。市内の店は大変な状態で再開には時間がかかったが、高砂、加古川、三田に古いお客さんがいたので、炊き出し用にこんにゃくを納品できた。昼間は交通渋滞で運搬できないので、夜中12時に出勤し、納品し明け方に帰ってくるという状態が半年ほど続いた。

こんにゃくの作り方は、サトイモ科の多年生植物のこんにゃく芋をすり潰し、手作りの場合はカルシュウムを加えて固める。また芋を粉砕して作った粉末に水を加え、練ってカルシウムを加える方法がある。生芋と粉で作ったこんにゃくの違いは、色と風味である。生芋は薄い茶色で、生芋の独特の美味しい香りがある。作っているこんにゃくの種類は、板こんにゃく、しらたき、つきこんにゃく、玉こんにゃく、さしみこんにゃく、わらびもち風こんにゃくがある。

わらびもち風こんにゃくの「神戸べっぴんものがたり」は、1994年に父親が作ったもので、当初は良く売れた。 こんにゃくとの違いは、こんにゃくの成分の水を吸って大きくなる、グルコマンナンがわらびもちに入っている事である。わらび粉、くず粉、寒天、澱粉が含まれている。名前のべっぴんものがたりは、父親とパッケージデザインをした人が命名した。
昨年8 月の神戸セレクションに認定さ れ、またこの時期にパッケージをリニューアルし、名前も頭に神戸を追加した。神戸セレクションは神戸市産業振興財団、市民モニター、バイヤーが、神戸で頑張っていること、神戸らしさの観点で選んだものである。パッケージには10粒入っているが、77Kcalで低カロリー食品である。
営業活動としては神戸セレクションの販売会など百貨店の催事に出店している。市内ではモザイク2階の神戸ブランドで購入(250円)する事が出来る。またホームページから購入する事も出来る。
上野商店Facebookに掲載されているべっぴん数珠つなぎは、最近始まったもので、企業と学生をつなぐ仕組み作りで、兵庫県立大学當間先生とゼミの学生さんと知り合い、学生に何かさせると言うことで、べっぴん→女子学生という繋がりで始まったものである。

兵庫県立大生による「べっぴん数珠つなぎ」(上野商店facebookより)

5.地域瓦版
まちの文化祭2
まちの文化祭

まちの文化祭2013 が11月24日(日)、10時~16時、地域人材支援センターで開催されます。

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